3.11以降の世界は”思いやり”に溢れている!
今、日本は被災地東北の役に立ちたいと思っている人達に溢れている。
「力を合わせて頑張ろう!」という声が満ち満ちている。 昨日のニュースでは、「全国の刑務所・拘置所では約2800名の受刑者の自発的申し出により、2156万円の義援金を日本赤十字に送った。異例のことだ」という。
また、日本だけでなく世界中の人々が被災地の人達に心を寄せている。先進国から新興国にいたるまで、「日本を信じている。 私達は一つだ」とメッセージを発信する人達の映像を毎日のように目にしている。 今ほど“思いやり”に溢れた地球市民の時代はなかったように思う。今、世界中の心ある人たちが何かせずにはいられない心境になっているようだ。 3.11以降の世界の価値観に変化の兆しがあるのではないかと思う。
このように社会の価値観とか倫理観とかを揺るがすような大地震は、絶対主義時代のヨーロッパでも発生したことがある。 1755年のリスボン地震だ。 15mを超える3回の津波に襲われ、多くの人が呑みこまれた。津波に襲われなかった市街地には火災が発生し5日間も燃え続けた。 9万人以上の犠牲者を出し、リスボンは壊滅的な被害を被ったという。
敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、しかもカトリックの祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも破壊されたことは、当時の神学・哲学では説明し難いものであった。 Wikipediaによると「当時のヨーロッパの知識人にとり、リスボン地震の衝撃による文化的・哲学的転換は、20世紀後半におけるホロコーストの衝撃に比べられるほど大きく・・・」、社会思想家ジャンジャック・ルソー初め多くの思想家に大きな影響を与えたらしい。
話はそれるが、リスボン地震の時、対岸のアフリカ・モロッコでは20mを超える津波に襲われたという。15mの津波に破壊された福島原発の事故を指して”想定外”の出来事と言われているが、歴史を紐どけば”想定”される範囲内であったのだ。 やはり人災だと言わざるをえない。
4月16日、<ハーバード白熱教室>で有名なハーバード大学マイケル・サンデル教授による「大震災特別講義:究極の選択」がNHKで放送された。ボストン/東京/上海の3地域を結んで興味深い議論が行われた。 大震災を契機に日本人は同情と共に賞賛をも集めている。
「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ(ニューヨーク・タイムス)」と驚き、日本人に敬意すら持ち始めているのだ。 日本人の自己犠牲、譲り合い、冷静さ、謙虚さといった私達にとってごく当たり前とも言える“日本人らしさ”に世界の人々が感動している。 同じ人間として日本人を誇りに思い共感している。
リスボン地震の時代を生きた人道主義者ジャンジャック・ルソーはグローバルな共感はあり得ないと言っていたらしいが、コミニケーション手段が発達した現代では、富める国も貧しい国も、たとえ地球の反対側にいたとしても、個人や民族・国家を超えて痛み苦しみを分かち合いグローバルな共感が可能であるといった趣旨の発言が多かった。
かって大航海時代に世界の覇権を握った大国ポルトガルは、リスボン大地震以降250年を経過するが、その後、国家力は低下し続け二度と上昇気流に乗ったことがないのだ。私たちの日本は、明治の開国、第二次大戦での敗戦という2度の試練を乗り越えた歴史を持ってすれば、今回の危機をも乗り越えるに違いないと言われているがはたしてどうだろうか。
なにせ問題は、不毛な駆け引きを繰り返す政治の世界だ。
住む家もなくなった多くの人達が「心を合わせて頑張る」、「私は命があって幸せです。もっと困っている人を助けてあげてください」と言っているのに、政治の世界はコップの中の小さな違いで傷つけ合っている。 心は見えないが「下心」は見える。思いは見えないが「思い上がり」は見える。政治家の価値観は、世界が賞賛する“日本人らしさ”とは異質のものなのだろうか。 謙虚で真摯な日本人に早く目覚めて欲しいのだが。
今回の<白熱教室>では「危機に対する日本人の対応から何を学ぶか」が議論され、人間の気高さ、可能性に気付かされた世界の人々はグローバルで普遍的な倫理観を共有し、価値観が変化してゆく可能性がある、そんなきっかけになりそうだ、という希望の光があった。 私は、「人間って、もっともっと可能性がある」という夢を大事にしたいと思う。そして、日本的な良さを強みにした復興ができると素晴らしいと思う。
ガンバレ東北! ガンバレ日本!
私は少なくとも東北を想い続けたい!
「力を合わせて頑張ろう!」という声が満ち満ちている。 昨日のニュースでは、「全国の刑務所・拘置所では約2800名の受刑者の自発的申し出により、2156万円の義援金を日本赤十字に送った。異例のことだ」という。
また、日本だけでなく世界中の人々が被災地の人達に心を寄せている。先進国から新興国にいたるまで、「日本を信じている。 私達は一つだ」とメッセージを発信する人達の映像を毎日のように目にしている。 今ほど“思いやり”に溢れた地球市民の時代はなかったように思う。今、世界中の心ある人たちが何かせずにはいられない心境になっているようだ。 3.11以降の世界の価値観に変化の兆しがあるのではないかと思う。
このように社会の価値観とか倫理観とかを揺るがすような大地震は、絶対主義時代のヨーロッパでも発生したことがある。 1755年のリスボン地震だ。 15mを超える3回の津波に襲われ、多くの人が呑みこまれた。津波に襲われなかった市街地には火災が発生し5日間も燃え続けた。 9万人以上の犠牲者を出し、リスボンは壊滅的な被害を被ったという。
敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、しかもカトリックの祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも破壊されたことは、当時の神学・哲学では説明し難いものであった。 Wikipediaによると「当時のヨーロッパの知識人にとり、リスボン地震の衝撃による文化的・哲学的転換は、20世紀後半におけるホロコーストの衝撃に比べられるほど大きく・・・」、社会思想家ジャンジャック・ルソー初め多くの思想家に大きな影響を与えたらしい。
話はそれるが、リスボン地震の時、対岸のアフリカ・モロッコでは20mを超える津波に襲われたという。15mの津波に破壊された福島原発の事故を指して”想定外”の出来事と言われているが、歴史を紐どけば”想定”される範囲内であったのだ。 やはり人災だと言わざるをえない。
4月16日、<ハーバード白熱教室>で有名なハーバード大学マイケル・サンデル教授による「大震災特別講義:究極の選択」がNHKで放送された。ボストン/東京/上海の3地域を結んで興味深い議論が行われた。 大震災を契機に日本人は同情と共に賞賛をも集めている。
「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ(ニューヨーク・タイムス)」と驚き、日本人に敬意すら持ち始めているのだ。 日本人の自己犠牲、譲り合い、冷静さ、謙虚さといった私達にとってごく当たり前とも言える“日本人らしさ”に世界の人々が感動している。 同じ人間として日本人を誇りに思い共感している。
リスボン地震の時代を生きた人道主義者ジャンジャック・ルソーはグローバルな共感はあり得ないと言っていたらしいが、コミニケーション手段が発達した現代では、富める国も貧しい国も、たとえ地球の反対側にいたとしても、個人や民族・国家を超えて痛み苦しみを分かち合いグローバルな共感が可能であるといった趣旨の発言が多かった。
かって大航海時代に世界の覇権を握った大国ポルトガルは、リスボン大地震以降250年を経過するが、その後、国家力は低下し続け二度と上昇気流に乗ったことがないのだ。私たちの日本は、明治の開国、第二次大戦での敗戦という2度の試練を乗り越えた歴史を持ってすれば、今回の危機をも乗り越えるに違いないと言われているがはたしてどうだろうか。
なにせ問題は、不毛な駆け引きを繰り返す政治の世界だ。
住む家もなくなった多くの人達が「心を合わせて頑張る」、「私は命があって幸せです。もっと困っている人を助けてあげてください」と言っているのに、政治の世界はコップの中の小さな違いで傷つけ合っている。 心は見えないが「下心」は見える。思いは見えないが「思い上がり」は見える。政治家の価値観は、世界が賞賛する“日本人らしさ”とは異質のものなのだろうか。 謙虚で真摯な日本人に早く目覚めて欲しいのだが。
今回の<白熱教室>では「危機に対する日本人の対応から何を学ぶか」が議論され、人間の気高さ、可能性に気付かされた世界の人々はグローバルで普遍的な倫理観を共有し、価値観が変化してゆく可能性がある、そんなきっかけになりそうだ、という希望の光があった。 私は、「人間って、もっともっと可能性がある」という夢を大事にしたいと思う。そして、日本的な良さを強みにした復興ができると素晴らしいと思う。
ガンバレ東北! ガンバレ日本!
私は少なくとも東北を想い続けたい!

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